上智大学英語学科同窓会

「指どうしたの?」| 佐藤 宏美

ウガンダにて

ここは東部アフリカ、内陸国であるウガンダの首都カンパラ。スーパーの野菜売り場でピーマンを量りに乗せていた時、突然店員に声をかけられた。「指?なにが?」とっさに自分の両手を見ると、左の人差し指に小さな絆創膏を貼っていた事を思い出した。その朝切れない包丁でかすっただけの、忘れていた傷だった。
「ああ、これナッシングだよ。もう痛くないし。」そう彼に返すと、「オーマダム、痛かったでしょ、ソーリー、ソーリー...。」彼ははにかんだ笑顔で、「早く治りますように」と私のために祈ってくれた。

国際協力機構(JICA)が派遣する「青年海外協力隊」の現地業務調整員として、ウガンダに派遣されてから3年が経った。ウガンダでは現在約90名の協力隊員が活動中であり、私はその中の「稲作普及隊員」を担当する業務調整員である。現在JICAはアフリカでの稲作の普及に注力している。ウガンダはナイル川からの豊富な水源と火山活動によってうまれた肥沃な土壌を有し、近隣諸国に食物を輸出している、東アフリカの「Food Basket」と呼ばれる国だ。ウガンダにおいて米が貴重な換金作物であること、またウガンダ人自身数有る主食の中でも特に米が大好きであることもあり、政府、そして農民達の稲作への関心は非常に高い。協力隊員は各地方に派遣され、地元の県庁と協力しながら、農民達に稲作の指導を進めている。
そんな協力隊員の活動が円滑に進むようサポートするのが、私の仕事である。

この3年間、ウガンダ人の寛容さ、優しさに助けられてきたなぁと、今しみじみと感じている。そもそも、私も協力隊員達も、アジアの「日本」という小さな国から来た、外国人の若造である。その若造が突如ウガンダの地方に現れ、「あーしてほしい、こーするべきだ。協力して欲しい」と始めるのだ。お金を渡すわけでもない。
日本だったらどうだろう。そんな見た事もない片言で話す外国人の言う事を聞いてくれるであろうか?しかし、ウガンダ人は「日本人は優秀だからね。僕たちは沢山学びたい。来てくれてありがとう。歓迎するよ、共にがんばろう」、そういって、県庁の予算まで確保してくれる
こともあるのだ。

そして、どんなに忙しくても「マダム、君は元気かい?ハウイズユアライフ?首都はどうだい?雨は降ったかい?」といつも(長い)挨拶を忘れない。最初は一つ一つ返す答えを考えたものだが、それにはあまり意味がないようだと気づくのに時間はかからなかった。彼らにとって、私の回答内容よりも、「挨拶を交わす」というコミュニケーションの行為の方が重要なのだ。挨拶中はずっと握手をしたまま、笑顔で向き合う。農民などは「手のひらが汚れているから代わりに」と、手首を差し出してくることも多い。挨拶は礼儀であり、挨拶をされないと「軽んじられた」と思うのだという。
挨拶をして、彼らと目線を合わせる度に、いつも温かい気持ちになれた。そして、またこの人達と頑張っていきたい。そんな優しい気持ちが自分の中に芽生えるのを感じるのだ。ちょっと間が抜けたような、決まり文句が繰り返される長い挨拶。
私が3年間大好きだったウガンダの習慣だ。

冒頭のスーパーでのウガンダ人店員との一コマは、ウガンダ人の国民性を良く表している一件であった。彼らはよく人のことを見ている。そして興味を持つ。心配する。思慮深く、他人の私のために祈る。「日本に帰ったら、誰か私のかすり傷、心配してくれるかな」と、ふと思った瞬間に、帰国間際だったこともあるが、熱いものがこみ上げ、私はスーパーですすり泣いてしまった(苦笑)。しかし直接的なコミュニケーションが希薄になりつつある日本社会と比べ、常に濃密なコミュニケーションが求められるウガンダには、いつも温かさ、優しさがあった。

日本に帰国して、1ヶ月が経った。3年ぶりの日本の冬は本当に寒く、私の身も心も芯から冷やしてしまう。誰と挨拶をかわすこともなく、マフラーの下に顔を隠して家路に着くとき、ふいに「ヘイ、マダム!ハウアーユー?」というウガンダ人の懐っこい笑顔と白い歯を思い出す。いつも挨拶をかかさないウガンダ人。私が怒ると、逆に笑って慰めるウガンダ人。いつでも興味津々、私の指の小さな傷も見逃さない、優しいウガンダ人。

彼らの笑顔が私をいつも安心させてくれたように、私は彼らに何ができたのかな、そんな思いが繰り返し頭を過り、1万キロ以上離れてしまった遠い国、暖かい国ウガンダ、その国の人々のことを懐かしく思い出している。